ワダチとマスター

 日が差さない路地に立っていた。オレは肩で息をしながら、携帯に映っている写真と目下の顔をもう一度見比べる。OK。同じ顔。

 オレの足元に転がっている男…今日のターゲットは、動くこともできず咳交じりにあえいでいた。ベンチャー企業の経営者だという。白かったワイシャツは倒れこんだせいで薄黒く汚れていた。

 今日の依頼はこの人を始末することだった。理由は融資の滞納。返されない金をこの男の保険金で賄ってやろう、なんて話だろう。
 初めて会う人間を殺すことには、ずっと前から何の感慨も抱かなくなっていた。まともに見えたってわざわざ殺し屋まがいの団体に依頼が送られてくるような人間だ。きっと、同じ穴のむじな。

 「あ"…………きみ、な"んで……」

 飛び出そうなほど見開かれた男の目玉がグルン、とこちらを向いてオレを捉えた。尋常じゃないほどの汗とけいれん。他人事のようにそれを見つめた。

 達成感のような、どこか誇らしい気持ちで拳銃を男の頭へあてがう。恐れあえぎ続けるその顔をじっと見つめたまま、引き金にかけた指へと力を込めた。



 

 日が差さない路地に立っていた。朝のうちに店から出たゴミを路地のゴミ捨て場に放り投げる。何の依頼も振り分けられなかった日には、住み込みでバーの仕事をこなすのがオレの役割だった。

 用が済んだらゴミ捨て場に背を向けて、ぎゅう、と背伸びをしてからバーの裏口へ戻る。戸を開けると掛け流しにしているラジオが微かに聞こえてきた。書類棚が並ぶ事務室の中で、マスターが机に向かって電卓を叩いている。

 「……あ、それ、昨日のやつですか?」

 マスターに近付いて、机の上に置かれた厚みのある封筒を指さした。計算に集中しているのか、電卓と書類から目を離さないまま「ああ」と返された。

 封筒の中身…見積もりでは十数万ほどだった成功報酬は団体とオレの取り分に分配される。その辺はマスターの管轄だからよく知らない。
 配当はどうせ借金の埋め合わせに回されるし、衣食住はすべてここで確保してもらえるから、たいてい分配の内容は気にしていなかった。 

 部屋の流し台に歩いていき「コーヒー淹れますか」と尋ねる。マスターが頷いたのを確認して、流し台の横に置かれたインスタントコーヒーを手に取った。
 粉末をスプーンぴったり1杯分掬ってカップへ入れ、電気ケトルのお湯をゆっくりと注いだ。こぼさないようにゆっくり持ち上げたカップを事務机の上に置く。
 それに口がつけられたのを見てから、近くのスツールへ腰を下ろした。

 ちょうど番組が切り替わるところだったらしい。ラジオの音楽がゆっくりと途切れて、ニュースを読み上げるアナウンサーの声が聞こえてくる。マスターが書類を1枚めくって、またカリカリと数字を書き始めた。


 「……もう慣れたか?」

 おもむろにマスターが口を開いた。

 「ごみ捨てですか? 流石に慣れましたよ」
 「先週は分別を間違えていたが」
 「んぐ」

 露骨に口ごもると、はじめてマスターが目線を上げてこちらを見た。そそそ、と顔を逸らす。

 「......今日は大丈夫です」
 「次は柏に言いつけるからな」
 「えぇ、嫌です! センパイ絶対イジってくるじゃないですか!」

 スツールから前のめりになって抗議すると、マスターは淡々とした調子で「冗談だ」と呟いた。

 ふざけているのか大まじめなのか、全く分からないのがこの上司の困ったところだった。常に変に絡んでくるセンパイみたいな人よりは関わりやすくて助かるけど。
 なんだか気が抜けて、目の前の机に突っ伏すような姿勢をとる。そんなオレを意にも介さず、マスターはさっきと同じ表情のまま書類を捲っていた。
 安っぽいコーヒーのにおいが鼻先にふわりと漂った。

 本当はバーの手伝いなんて必要ないらしい。
 何年もずっと、手際のいいマスター1人で切り盛りできていたそうだ。組織の要地とも言えるこのバーに、右も左も分からない子供を置いた理由はメンバーの誰にも分からなかった。
 その気まぐれのお陰で飯にありつけているとも言えるけど...あまり釈然としないまま馴染んでしまったのだった。

 突っ伏したままマスターから目線を外して右手のささくれをいじってみる。やめておけばいいのに、それを引っ張ってプチンとちぎった。

 「...いて」

 案の定、指先からじわじわと血が溢れてくる。洗い物をしようものなら間違いなく滲みるだろう。ティッシュを取るのも面倒で、あーあ、と思いながら指先を舐った。慣れたけど、あんまり好みでもない鉄の味。

 「洗わないと腫れるぞ」

 「ん〜......」

 上の方から注意する声が聞こえた。それに意味のない適当な返事を返す。

 ...昨日の男が最後に覚えたのもこの味だったんだろうか。
 もしもそうなら、オレが死ぬ時にも同じ味がすればいいな、なんて思いながら、ボーッと傷口を吸っていた。