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柏と牧田|Bar Aurora
男の首をナイフでかき切った。瞬間、強い光に照らされた。
反射的に顔を背けた。ちかちかとボケた路地の先から、「警察だ」「今すぐ手を挙げろ」といった怒号が聞こえる。
待ち伏せされていた。
俺はその場で両手を挙げた。視線を上げると、紺色に反射板がついた服の男たちが電灯と拳銃をこちらに向けていた。
手を挙げた拍子に、男がだらんと足元に落ちた。血液が足元に絶えず広がっていく。
俺が不覚を取るなんてなァ。笑えてきて、肩をすくめた。
「Happy Robins」は確実に揺らいでいる。
まず、都警のお偉いサンが交代するって話が出た。組織は前のお偉いサンと随分仲良くやっていたから、面倒な話だ。
同じ時期に街の再開発の噂が広まった。区政が土地を買い集めている、それもかなり割がいいようだ…などと地主の間で話題だ。借地も少なくないウチは、土地を手放されないように地主を説得しなければいけない。
挙句の果てに、ウチのシマで殺人騒ぎが起きた。親子喧嘩を持ち出したくだらないものなのに、こちらは勝手に責任とアツい風評被害を押し付けられたのだ。少年の不良も、今日の住民の荒みも「全部お前たちのせいダー」とのことだ。
つい先日の俺は、酒を煽りながら上司の愚痴に茶々を入れていた。
確かに面倒な局面だけど…どうせ大したコトにはならないだろう。地主は金を積み続ける限り土地を渡さない。注視する必要はあるが、殺人事件も大抵はざわめく程度ですぐ忘れられる。てか、知らねーよッてな。新しく来たお偉いサンだって、利権に雁字搦めの街は変えられやしない……。
楽観的だったかもしれないが、俺の見立てが間違っていたとも思わない。なによりマスターは俺の頭だけは評価しているし。
全部全部、巡り合わせが悪かっただけだ。
センセーショナルな殺人事件を皮切りに、気付けば街の浄化を求める機運は高まり続けていた。都警は知事を味方につけて、莫大な予算と力を握った。都警の新たなお偉いさんは、この街をもう一度作り直すと宣言した。
……のろまな地主も流石に旗色の悪さを察したようで。一転、組織の支部が入っている土地を行政に渡すと言って、俺たちとの契約を打ち切った。
地主は俺の足元に崩れ落ちている。土地の権利を無理やりにでも守ろうとした上層部からの命令だった。
こいつもこいつで察していたのか、殺す頃を見計らって警官を侍らせてくれたみたいだけど。
死のうがタダでは終わらせないところに、この街の人間らしさがある。俺は結構この人のコト気に入ってたんだけどな。
動かない俺を見て近づいてきた警官が、俺の両腕を掴みあげた。警官の額には脂汗が滲んでいた。
彼は懐から手錠を取り出す。いかにもマニュアル通りでノロマな拘束方法だった。新人が殺人現場に駆り出されるなんて、嫌な職場だなァと思う。俺たちのところも大して変わらないが。
固定されていく手にはまだ、手袋越しに男の顔を掴んだ感覚が残っている。俺だって小心者だ、人を殺すことに慣れるもんか。
それでも、やりたくてやった訳じゃねェんだ、なんてちゃちな言い訳はできなかった。ただ、誰かに止めてもらえたら、それだけで自分に踏ん切りを付けられるような気がしているのだ。
警察署の、椅子と机だけの無機質な部屋に閉じ込められて数時間が経った。
俺を捕まえた新人らしいその男は、見る限りでも慣れない業務に慌てていた。そのくせ指南役も見当たらず、署内ですら人が回っていないのが分かった。
聴取も連絡方法も、効率の悪さに何度口を挟みたくなったことか。呆れたところで、すっかり年長者ムーブが染み付いていることに気付く。ため息をついた。
電話の内容を盗み聞いた限り(本当は聞こえるべきではないと思うのだが、そこまで頭が回らないらしい)、あの地主は搬送先で死亡が確認されたようだった。罪状、傷害致死にランクアップ。なーんもめでたくねェけど。
上の空で頬杖をついて、それから時々飛んでくる警官からの質問に答えていると、外から固いかかとの足音が近づいてきた。それから留置所のドアがノックされ、開いた。
「あ、お、お疲れ様ですッ!!」
警官の声量につられて顔を上げる。立ち上がった警官の目線の先には、スーツの男が立っていた。
整髪料で固められた栗色の髪に、いかにもエリートっぽい立ち姿で、よく知っている顔だった。
「……新しく来た、お偉いサン?」
俺が話しかけると、スーツの男は驚いたような顔をした。ゆっくりと向かい側のパイプ椅子に腰掛けた。
「お疲れ様です。そちらで写真でも出回っていたでしょうか」
「まァね。ご多忙なお偉いサンがなんの用?」
「ちょっとお話がありまして」
お偉いサンはすました顔で言った。それから後ろの警官に部屋から出るよう指示をして、俺のほうに向きなおす。
「自己紹介が遅れました。私は牧田と申します……。さて、殺人犯の柏さん。一犯でしょうか?」
「どうせこれまでの分も精算させんだろ?」
「そうと知っている割には平気そうですが」
牧田はいぶかしげな声と綺麗な笑顔を向けてくる。さっきの警官のほうが可愛げがあったんだけどなァ、と肩を落とした。
そもそもこの男は、何故こんな末端の事件に顔を出してきたのか。不慣れ丸出しの若手に殺人事件が任せられているぐらいには忙しいだろうに。暇なのかよ、と心の中で毒づいた。
「人殺しがバレて、まだなんとかなると思ってる方がおかしいしなァ」
「これまで何人殺したんですか?」
「今日で23」
「おお~、大物じゃないですか。あなたを捕まえた警官は大手柄ですね。けど……」
「けど?」
お偉いサンは言葉を切ると、もう一度部屋をぐるりと見回す。
部屋の角にある監視カメラをしばらく見つめて、少々悩んだそぶりを見せたあと「あとで消せばいいですね」と呟いた。
「別に、私はあなたの話が聞きたくて来た訳じゃないんです」
「はぁ」
「警察になりませんか?」
男はゆっくり両方の指を組んで、身をこちらへ少々乗り出す姿勢を取る。
「駒鳥の警察は人手が足りません。…ですが、こんなにも『良い』機会を逃すわけにはいかない。事情通で腕の立つ人が必要です。あなたのようなゴロツキに申すのは苦肉の策ですが、それは、毒を飲み毒を制すという感じで」
「……」
「キレイな駒鳥をつくるため、あなたに協力を依頼します。今回の調書は廃棄しますし、新しい戸籍もツテに作らせて……ええと、とにかく。あなたの了承さえあればいいんです」
スーツの男は内緒話をした子供のような、恍惚とした表情で捲し立てた。なんだコイツ、という気持ちが半分。額面通りに受け取ったとしても信用ならない、という気持ちが半分。男は俺の目をじっと見つめてきた。この数年で何人も見てきた、手段を選ばぬ人間の匂いをプンプンと漂わせている。先方は咳払いをすると「まあそう気を張らないでください」と俺をたしなめた。
「本当はこちら側に居たかったんですよね、柏さん」
「信用ならない」
「一応、今後一生警察に所属していただくことにはなりますが、それ以外は安泰です」
こちらを見つめる目が細められた。きっと、コイツの中では、俺を丸め込む算段はとっくについているんだろう。わざとらしくため息をついた。
「組織が許さないなら、その組織をあなたが壊してしまえばいいんですよ。さもなくば、このまま死んでください」
男は机を人差し指でトン、と叩く。
「一緒に頑張りましょう、ね?」
男は嫌な笑みを浮かべている。
笑みを浮かべたまま、手を差し出してきた。
嘘つきの顔をしていた。